慎みのない話となってしまいますが。
私は骨が好きというか、筋肉や骨格に興味をもっていて、
カラダが弱いというと冗談だろと思われそうですが、実はあまり元が丈夫ではなく、
それゆえなんとか長持ちする方法は、正しい使い方と鍛え方はと、
それが正しいのか間違えているのか、手探り・暗中模索・日々実践。
自らが実験台試作品と化し、娘に言わせると「どこに向かってるんだ」となるのですが、
骨格標本、人体模型があると欲しくなるし、
ホネホネ君にあうと、背負って家につれて帰りたくなってしまう。
先日継母の葬儀がありました。
継母も義母も骨粗しょう症が進んでいて、
そのお骨は骨から遠く離れてしまったような、
原型をほぼとどめないスカスカな欠片、カサカサ音が鳴る小さな骨が大半で、
骨壷に簡単に納まってしまう脆さと量でした。
で、その火葬場というのが昔からある古い古い建物で、
札幌の火葬場は、お骨を拾う場所は個室化していたと記憶しているのですが、
ここ、継母のときの火葬場は(ここで私の母も父も荼毘に付されている)個別化してないオープンスペース、
時間帯が重なれば他家とご一緒してしまうつくりになっていて、
私たちのほかに、もう一家もう御一体、いらしていたんです。
継母のお骨を拾っている横で、もう御一体がちょうど炉から出され、
係りの人がご遺族を招く前の準備に入り始めたのですが、
衝立もなにもない真横なので、いけないと思いつつも目がそのお骨にいってしまい…。
で、これが衝撃的でして。
継母も義母も骨粗しょう症、父も義父も80代、間違いなくそれはお骨だったのに対し、
隣に現れたのは、お骨というより、骨だった。
遺影をみると、同年代かもう少し若い世代の男性で、
骨が丈夫だとあれだけ原型をとどめるものなのか、
それとも時間の問題なのか、あまりにも生生しくて、ご遺族にとってはさらに辛かったのではなかろうかと。
でもわが身に置き換えると、焼かれてもあれだけ頑丈な骨というのも憧れるな。
食事OK,運動OK,お日様ばんばん浴びてるし、この調子か。
というわけで、何を書いているのやら。
こわいくらい立派な骨でした。