寒さが身にしみる一日でした。
カラダが春モードになったのか、そこまで気温は下がっていないと思うけれど、
冷たい風と雪が吹きつけ、なかなか身にこたえました。
トレンチで外に出たのに、あまりの寒さに家に戻り、
薄手のダウンに着替えなおして出直したもの。
明日も寒さは続くそうな。
お気をつけください。
寒さで思い出したことなのですが、
アムンセンの自叙伝2冊、上が昭和17年発行のアムンゼン探撿誌、
下が昭和37年発行の世界教養全集24 アムンゼン探検誌。
どちらとも訳は加納一郎さんなのですが、上は旧仮名遣い、下は現代仮名遣いで、
それはそれでいいとしても、中がどういうわけか違っている箇所があり、
2段構えでざざざっと読んでみたのですが、わかりやすい例をひとつ。
アムンセンは22歳のとき、友人と二人でスキーで高原横断に出かけ、
結構大変な目にあっているのですが、
上の昭和17年の本では、
二人とも手にひどい凍傷を起し、友は数週ののちになつて危うく一指を失ひかけるほどであつた。
と書いているというか訳してあるのですが、
下の昭和37年の本となると、
二人とも指はひどい凍傷にかかり、友人は後になってその一本を失うという憂きめにあった。
え!! 指は失ったのか? セーフだったのか? どっちなんだ。
どちらの本もアムンセンが1927年に執筆した自叙伝の英語版の邦訳で、
訳は加納一郎さん。
まぁ突っ込んでもしかたないので、ひどい凍傷にかかったということだけを受け止めることに。
ね、今日の寒さで「指はどっちだったんだ」を思い出したんです。
(そういえばエドワール・カリックのアムンゼンー極地探検家の栄光と悲劇ーでは友人とではなく兄と高原横断にでかけたと書いてあったな。)
それと、
今この2冊を読んでいて、左がアムンセンの「南極点」、右はアムンセンの「南極点征服」、
左のドルフィンプレス発行本はほぼノーカット版で(南極の歴史だけは110ページにもわたる長いものなので割愛し、
内容の要所を年表ふうに書き出し附録としてあります)、
上下2段の読み応えうはうは本となっていて、
右の「南極点征服(邦題)」は中公文庫の抄訳で、
2冊併読するとこれが悪いけど中公文庫はくそもおもしろくないというか、
おもしろいところがばっさばさカットされているからただの年譜みたいでかなり残念。
熱く語ってしまいそうなのでそこは抑えて、
タイトルにもってきたカナリア部分を。
中公文庫では、
カナリアの「フリットヨフ」がその仲間であった。それは探検隊に贈られた多くのもののひとつであったが、
これは贈物のなかでまったく歓待されないものだった。
ドルフィンプレスの「南極点」では、
ー略ーそれはカナリアの「フリティヨフ」だった。探検隊に贈られた数々のプレゼントの一つで、
なかでもありがたいプレゼントだった。
正反対のことが書かれている! カナリアの「フリティヨフ」は喜ばれたのか、そうではなかったのか(笑)。
これもフラム号にはカナリアがいたということだけは確かということで。
いやぁ、どの本を手に取ったかによって(知らずに)違ってることを(あっているかも知れないけれど)覚えちゃって、
それを口伝だったりネットでだったりひろがったりするとすれば、いやぁ、
でも、そんなこともあるんだと知っただけでも学んだことになったな。
ちなみにこの「南極点」を訳した中田修さんは(例のスコット本のかたでもあります)、
はじめ英語版を訳し、「あれ?」と思うところがありドイツ語版を読み比べ、
そこで違いがあることに気がつき、苦労に苦労を重ねノルウェー語版を入手し訳されたそうです。
だから私は中田さん訳の本を信頼したいと思うのですが、
3言語に違いがあるときは[ド ○○]になっていることも表記してあるのに対しさきほどのカナリアは何も表記はなしで、
ということはどういうことなんだろ。なんて深みにはまるのでカナリアがいたということで終了します。
ただ、アムンセンの人柄というか読んできたかぎり、
人から贈られたものを表立って悪く書くような神経の持ち主ではないと思うので(これはアムンセン愛過多ゆえ?)、
私としてはカナリアの「フリティヨフ」は隊員たちにかわいがられ航海し続けたと、信じたい。