カフェドロマン藻岩店でのランチのあと、
個人的に興味のある場所へ娘の車で移動。
私は車を運転しないので、自力で動くにはちょっと面倒という場所が多く、
まぁそれはそれでいいでしょとしていたのですが、
今回は母の日SPということと、
運よく奥(私にしては藻岩は離れているのでそういう感覚となります)から戻る途中ということもあり、
当初の娘に対する遠慮も吹き飛び、
いろいろありゃりゃと動き回ってきました。
まずは藻岩山スキー神社。
札幌藻岩山スキー神社と、
ちょっと写りが悪いですが、藻岩スキー神社と名前が少し違っているけれど、
藻岩山スキー神社と呼ばれているのでは。
ここを知ったのはずいぶん前で、
夢は凍てついた/川嶋康男 エピローグ177ページに載っているのを読み、
いつか行ってみたいと思い続けていたのです。
昭和24年2月4日、円山公園をスタート・ゴールとするスキー50キロ耐久競技が行われ、
円山~三角山~小別沢~盤渓~幌見峠~藻岩山をぐるっと左に巻いて双子山~総合グラウンドというコースで、
参加者2名が亡くなっているんです。
そのときの参加選手でもある鈴木さんが、昭和54年3月に私設のスキー神社を造ったと書かれてあり、
昭和47年札幌で開催された冬季オリンピックを記念するとともに、
アマチュア精神の柱にブランデージIOC会長を据え「ブランデージ五輪の神」とし、
北欧神話の「ウル」と「スカディ」をともに祭ったそうで、
いずれもアマチュアスポーツ精神の昻揚をたたえようというのが造営の目的だったが、
大会で亡くなられた干場君のために造った神社で追悼の気持ちなんだとも鈴木さんが語っていたそうで、
三角山が亡くなられた大会のコースに含まれていたこともあり、かなり興味を持っていたのです。
どうもきれいに写らない。
と、裏手から人が現れ(鈴木さんをご存知のかたのようでした)ご挨拶。
先ほどのスキー大会のことは詳しくご存知ではないようで、
札幌オリンピックの聖火台があると案内して下さった。
写りが悪くてすみません。
拡大すると「メモリアル聖火台」「寄贈」という文字は読み取れるのですが、
聖火台といえば手稲山と真駒内競技場と市役所前が浮かぶのですが、
どれともイメージが遠い……。
いろいろな競技会場にあった一部なのかもしれませんが、
突っ込んだことも訊き辛く、そのままお礼をいい退去。
「もっときちんと保存していればよかった」とおっしゃっていました。
レルヒさん?
下の額を拡大すると、
こうなっています。
行ってはみたけれど、あまりよくわからなかったのが正直な感想です。
でもわかろうともわからなくともそれはそこにあり、
鈴木さんの想いはここに遺されているのかなと思うのですが、いかがでしょう。