時間の配分がうまくいかず、更新が滞りがちなこの頃です。
まぁ書いてもたいしたことも書けないのですが。
勢いで書けるときはいいのですが、勢いのないとき、
変に振り返ってしまうときなど、げ、こんなくだらないことまずいんでないかと溝にはまり、
そのままストップしてしまうことが多いんですね、これが。
さて、今日は9のつく日ということで、17ページシリーズの日、
登場するのは、2冊。
ほかに2冊読んだのだけれど、ちょっと載せるのもどうなのよという感じで、パスします。
ではたったの2冊ですが、17ページの6行目をアタマから書き写し、
あとは紹介にも感想にもならない雑文です。
ヴァレンヌ逃亡/中野京子
17ページは革命当時のパリの地図
いやぁ、それが、佐藤賢一さんの「小説フランス革命」に書いてあることとかなり違っていて、
歴史小説というものは何がなんだかわからないなと(笑)。
時系列は違いがないのだけれど、
例えば1791年6月20日王一家はパリから逃亡したのは間違いないのだけれど、
佐藤本ではフェルゼンが下見もせず計画性に乏しく道に迷ってばかり、それが原因で大幅に時間をロスし、
ルイが見切りをつけ解雇、もうフェルゼンぼろくそに書いてあったのに対し、
中野本ではフェルゼンの計画は万全だったのに対し、ルイの嫉妬で解雇、
以後ルイの甘さで時間をロスし、ルイぼろくそで逃亡失敗などなど、
挙げればきりがないほど肉付けが違っていて、いやはや面白いというか、いったいというか。
著者の好みも反映しているのかもしれないけれど、
巻末にある林真理子氏との対談でちょっと謎が解けた気が。
古い資料は前からあったが内容はバラバラで、どれを取るか悩み、結局最後は自分はどっちの資料を選ぶかなんだと。
なるほど。
にしても、こうも人物像が異なると。
まぁそれは別にして、前回も書いたけれど、現代の感覚で捉えてはいけないんだよなと思うことがたびたびあり、
何事も自分の物差しを振りかざし騒いではいけないんだよなと。
余談ですが、当時パリは相当臭かったそうな。
臭くて臭くて臭くて、マリー・アントワネットは目先の臭さから逃げ出したかったのではなんて。
セーヌ川は糞尿だらけ、1度もお風呂に入ったことのない民衆体臭、道はもちろん糞尿だらけ。
ヴェルサイユはまだ森に囲まれた広大な面積だったけれど、
パリ市街は凄まじい臭気の壺というか、そういえば、前に読んだ「香水」もパリの臭さに触れていたな。
あれですね、最初にどの本を手にとるかによって印象ががらっと違ってしまうのが歴史小説なのでしょか。
死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男/安達正勝
ディエップの広場に設けられた処刑台の上にジュアンヌ親方が立っているのをシャルルが見た
王の子は王に、死刑執行人の子は死刑執行人に。
天と地ほどの違いがあるけれど、どちらも世襲制で自分の意思で変えることはできない。
いろいろフランス革命本を読んできたけれど、この本が一番おもしろかったかも。
おもしろいといっていいのか、なんというか、言葉って困ります。
いろいろ読んできたから話の内容がうまく掴めたのかもしれないけれど。
ルイ十六世の首を刎ねたのは4代目サンソン。
本によってはこの4代目サンソンが粗悪な人物に描かれたいたりするけれど、
本書では善良で思慮深い人物に描かれていて、そのサンソンの世襲制による、
王から与えられた職務をまっとうしているだけなのにもかかわらず人々から忌み嫌われ、
人の手で人を殺さなければならない苦悩、敬愛する王を処刑したあとの苦しみなど、
そもそもギロチンはどうして必要だったのか、
その時代背景もわかりやす説明で書かれていて、
「パリの断頭台」よりずっと脳にインプットされた一冊。
フランス革命本でなにを読めばいいのか聞かれたら、私ならこれを推しますね。
佐藤賢一本「小説フランス革命」11と12、ちょっとしたトラブルでまだ手元に届いていません。
あまり間を空けると、ますます読み進める気力が減ってきてしまいそう。
この2冊でフランス革命本は卒業する予定。
次はメアリー・スチュアートかヘンリー7世(8世ではなく7世!)にはまるか、
アムンセンの積んである本に手を伸ばすか。
なんて書いていると、予期せぬ図書館過去に予約していた本がどどどっと一気に届いてパニくるんだよな(笑)。
以上、230回目でした。
しかし、マリー・アントワネットもいろいろ描かれていて、
実際どうだったんでしょね。
ああ、ワープしてみたい。って臭くて悶絶してだめかもしれないな。