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ぷらっと手稲山

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すっきり気持ちのいい青空なので、手稲山に寄ってきました。

といっても娘の車、山頂ではなく、テレビ山道コース入り口付近まで。

去年の秋、ここから山頂まで登った(もちろん歩いて)のですが、

歩いて登った部分よりも、この入り口に至るまでの道が気に入ったらしく、

できればそこから上の山頂までの歩きも気に入ってくれよなんですけど、

贅沢は言わない。

車を置いてあたりをぷらぷら。

 

 

 

 

 

 

自宅近辺から小さく見えている山頂が、ここだとぐぐんと近い。

今年は平和の滝コースを行けるとこまででいいから登ろうぜと誘ってみても、手ごたえなし。

まぁ長期計画ですな。娘山化計画。

 

 

 

 

 

海が写っているのだけれど、海と陸と雲の境目が曖昧模糊。

 

 

 

 

帰りはヨシヨシでアイス。

前回今回あわせて7種のアイスを食べたことになるけれど、

ラムレーズンはふたりとも評価が高い。

桜餅も次いで高い。

チョコは私は高得点なのに対し娘からはそれほどの評価を得られず。

あとはほどほど。

今日は店頭に出ている種類が少なかったような気が。

時間帯が悪かったのか。

次回こそバニラとミルクの違いに挑戦したい。

今日はどちらもなかった。

 

ラムレーズン、さくらもち、チョコレート、西野ロール、黒ゴマ、シャンパーニュなんとか、ベリーなんとか。

以上7種を記しておこう。

 


17ページ 6行目 206

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最近ヨガをはじめてみようかなんて考えることがあり、

検索し教室をさがしてみたりするものの、

若い美しい娘さんばかり集まるところにはいきたくないし、

時間帯や料金というものもあるし、

そもそもヨガの瞑想とか大地のパワーを云々とか、そういうのは苦手なほうで、

じゃあどうすればいいんだ、う~ん、困ったなと。

3日おきくらいのサイクルでう~んう~ん言っています(笑)。

 

では、いつものようにこの10日間に読み終えた本の17ページの6行目をアタマから書き写し、

あとは感想にも紹介にもならない雑文です。

 

 

 

 

 

 常備菜/飛田和緒

 

② 湯でうどん1玉を加えて温め、

 

 

いきなりですが、ゆで塩豚うどんレシピのページでした。

飛田さんの料理文庫本「1DKクッキン」「2DKクッキン」には大変大変お世話になったけれど、

この本ではまだ「こんにゃくの味噌煮」しか作っていない。

 

 

 

 

 爪と目/藤野可織

することもなかった。それがあなたの恋愛だった。

 

前回出の穂村弘さんの対談集に登場していて、その対談のなかで、

藤野さんは外に出るのが怖い、1週間お風呂に入らずデートの約束を断った、それでいて美女、

いったいどんなこと書いて芥川賞、純ホラー、読んでみようと図書館から借りてきたのですが、

いやぁ、わけわかりませんでした。わからん。わかんない。1冊まるごと3話わかりませんでした。

 

 

 

 

 

  異類婚姻譚/本谷有希子

 

6行目調べ忘れ。そのまま返却してしまいました。

 

 

 

 

 嵐のピクニック/本谷有希子

ツキは運命的に出会った旦那に借金と隠し子が発覚して、なんであんなやつを好きに

 

 

 

 

 

 ぬるい毒/本谷有希子

「気づいてないだけじゃないですか。女はみんな熊田さんのこと、嫌いだと思いま

 

 

 

 

同じく穂村さんの対談集を読み、ちょっと気になり読んでみたのですが、

これがヒットで本谷さん連続3冊読んでしまった。

前に「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は読んだけれどそれっきりで、

なんというか「ぬるい毒」にも共通しているのだけれど負のベクトル、登場人物が抱えている憎悪パワー、

それがなんともしんどいのだけれど、

「異類婚姻譚」と「嵐のピクニック」に登場する憎悪の消化酵素というか落としどころのツボ、

面白いというより読んでいて楽しくて、

楽しい、こういう感覚ありなのかなと、あとで解説を読んでみたら、

あの大江健三郎氏も「楽しんで読んだ」と書いていらっしゃる。ありでOKなんだ。

この2冊(異類婚姻譚と嵐のピクニック)はときどき手に取り読み返したくなること間違いない。

にしても奇妙な話の連続で、まさかのヤマシャクヤク登場にたまげてしまい、

来年の6月はヤマシャクを見ると必ず「あっ」と、今年とは一味違う味わいの花に見えることでしょう。

いやぁ、藁の夫といい、いいわ。

この2冊はなんとも奇妙な世界に連れて行ってくれます。

あ、でもね、どこかで聞いたことがあるような、読んだことがあるような、それもちょっと気になった。

たとえば藁の夫は川上弘美さんの人形(ヒトガタ)の話とか。伏とか。殺したい女とか。

 

 

 

 

 

 

  南極点/ローアル・アムンセン 中田修訳

○年間━砕け去った部分は別として━同じ場所に存続

 

 

 

昨日6月18日(前後)はアムンセンが亡くなった日でした。

1928年、飛行船イタリア号で北極に向かったノビレ(本当疫病神だ)が遭難、その捜索に向かう途中行方不明となり、

機体の一部はみつかったもののアムンセン他乗組員は発見されず。ノビレは生還。

準備不足を一番嫌う人がそれを覚悟の上救助に向かうなんて。

北極を愛した人の死に場所はやはり北極で氷が墓標になるとは。

やっとアムンセンの書いた「南極点」を読み終えました。

スコットの日記のすべてを読んでいるわけではないですが、

アムンセンの徹底した準備と調査と下調べ、仲間への信頼、決して冒険はしない、運にまかせない、

成功の裏にはこのような理由があるんだと、その周到さには脱帽です。

そしてなによりアムンセンがとても明るい。探検の楽しさが伝わってきます。

ユア号もときも感じたけれど、アムンセンはツンデレタイプでしょか。

 

 

準備が足りないところに必ず失敗がある。人はこれを「不運」と呼ぶ。

完全な準備があるところに常に勝利がある。人はこれを「幸運」と呼ぶ。


アムンセンの有名な言葉で、これはスコットとのことをそれとなく書いているのかと思っていたのですが間違いでした。

「南極点」にこの有名なフレーズが載っていて、

この本を執筆&出版された時アムンセンはまだスコット極点隊全滅は知っていないんですね。

現代のように電信技術が発達しておらず同じ感覚で物事を見てしまいがちですが、

1911年12月14日アムンセン南極点到達。

1912年「南極点」出版。

一方スコット隊は、

1912年1月17日スコット隊南極点到達。

同年3月29日スコット最後の日記。

同年11月捜索隊テント発見。

1913年1月テラ・ノバ号来航、帰国の途につく。

同年2月ニュージーランド南東の港オアマルでセントラル・ニュース社へ電報を送る。

アムンセンがスコット隊全滅を知ったときにはすでにこの本は世に出ていたわけです。

 

さらにこの有名な言葉のあとも載っています。

続きはこうです。

というか、上のはかなり略してあるようなのでここにもう一度この本からの抜粋し載せます。

 

 

探検のためにどういう装備をするか━あらゆる困難を予知し、それに立ち向かい、

あるいはそれを避けるためにどういう手段を取るか、にもかかっている。

あらゆる用意を整えた者を勝利の女神が待ち受けているのだ━それを人は幸運と呼ぶ。

あらかじめ必要な対策を講じなかった者には敗北は必至だ━それが不運と呼ばれる。

しかし、どうか私がこれを自分の墓碑銘にしたがっていると考えないでもらいたい。

そうではなく、名誉はそれに値する者が、私の忠実な僚友諸君が、受けるべきだということで、

彼らこそ忍耐と不屈と経験によってわれわれの装備をこれ以上は不可能の域にまで完成させ、

それによって勝利を可能にしたのだった。        「南極点」より抜粋

 


 隊員全員への賛辞だったんですね。

アムンセンの書いたユア号航海記でも自伝でも隊員友人協力者たちに深い感謝を書き記しています。

語らせれば一晩では足りないほど「アムンセンのここがすごい」は山ほどあるし、

同じ中田修さん訳のスコット全日記も入手したい。

 

スコットもアムンセンもシャクルトンもみな極地で眠っています。

畳の上(畳じゃないけれど)ではないんですね。シャクルトンが一番畳っぽいか。

 

以上、いつまでもアムンセンやスコットをシャクルトンを語りたい206回目でした。

三角山 ウメガサソウ キヨスミウツボ そしてナメクジ

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三角山に行ってきました。

 

今日の目的はウメガサソウとキヨスミウツボ。

キヨスミウツボはまだ早い気がするけれど、ウメガサソウに関してはなんとも言えない。

 

このウメガサソウは私の中ではレベルの高い、入魂の花です(笑)。

三角山を歩き始めたころに一度「実」らしきものは見つけたのだけど、翌年にはなくなってしまった。

それから何年も経ち、偶然、横を向いたらひっそり咲いているウメガサソウを発見。まぐれですね、これは。

げ、やっぱりあるんだウメガサソウとえらく感激したのを覚えています。

 

今年はどうだろ。

 

 

 

 

あったあった、小~さい。8cmあるかないか。

 

 

 

 

 

少し早かったかもしれないけれど、あえた。

 

 

 

 

キヨスミウツボ、これも入魂の花で、あの広い山の中探して探して歩いて歩いてやっと見つけた。

何年越しだったろ。最初に見つけた場所に、ある年突然ひとつも見当たらなくなって、

もう見ることは出来ないのかとしょんぼり数年過ぎた頃、別の、わりと近い場所にゆらっときのこのような白いものを発見。

あれ以来消えることなく毎年時期が来ると土の中から顔を出し続けています。

 

 

 

 

 

ぼわわんと乳白色の輝き。

 

 

 

今は真珠のような形状ですが、これがイソギンチャクみたいな花になります。

今年は多いかも。

 

 

 

 

 

 こちらも白いギンリョウソウ。まだ綺麗なのが残っていました。

 

 

 

 

 

100X10ボンヤリ。

 

 

 

 

 マタタビ満開。

 

 

 

 

 

ハクウンボクの花大好きなのですが、

 

 

 

土に落ちた花しか残ってなくて、今年も見逃してしまった残念と歩いていたら、

 

 

 

 

 

まだ咲いているハクウンボクを見つけた。

ちょっと高いのがあれだけど、なんでしょね、ハクウンボクの花を見ると味の素という言葉が浮かんできて、

どうしてそこに繋がるのか自分でもわからないのだけれど変な脳。

 

 

 

 

 

エノキのような海綿のようなきのこ。

 

 

 

 

 

このぐるぐるはきっとエゾスズラン。

 

 

 

 

真ん中のハウチワカエデの葉がウサギというか縛っているというか、どうしたんでしょ。

 

 

 

 

さて、次は虫編です。

どんどん指数がアップしていきますのでお気をつけください。

 

 

まずはかわいらしく、

 

 

 

 

テントウムシ。左右の紋がつながるので、エゾアザミテントウだと思います。

ハートになっている。レディバではない。

 

 

 

 

 

必至に隠れています。オサムシなのかゴミムシなのか、私には区別がつきません。

 

 

 

 

 

ヨツモンカメムシとみた! そして明日の朝には忘れていそうだ!

 

 

 

 

 

追いかけてヨツボシヒラタシデムシ。

今日は水玉模様の日かも。

 

 

 

 

 

 

これはヨシカレハ? 大きな蛾になるのか? うえぇ、大きな蛾か?

今日はなかなか判明率が高い。

 

 

そしてラストはナメクジが登場します。

結構グロいので苦手な方はここでお別れしたほうがいいかもしれません。

 

 

 

では、登場します。

 

 

 

 

 

 

 話には聞いていたけれど、三角山でナメクジは初めてみたわ。

チャコウラナメクジかな? マダラコウラナメクジではないことだけはわかるけど。

はっきりとした線はないようにみえるけれど、大きいし生っちいし、もうびっくり。

1匹いたら100匹はいる? これから頻繁に見かけるようになるのかと思うと、ちょっと気が重い。

塩で撃退しようとする人出てくるんだろうな。

お風呂場とも街中とも違うのだから、山の土に染み込んだ塩はどうなるか、そこのところを考えてほしい。

ナメクジに塩は有効かもしれないけれど、植物や昆虫や木などに塩分を含んだ土だと弱ってしまうのでは。

 

 

 

 

 

 

以上、エゾリスにもあえた(撮影は失敗しちゃったわ)三角山でした。

 

 

ドレッシングを買いに行ってきた

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先日アイフォンの修理でジーニアスバーへ行きましたが、

その帰りにカルディでドレッシングを買う予定でいたのに、

なんだか考え事をしていてお店の前を素通りしてしまった。

(人はそれを老化と呼ぶ━アムンセンを真似てみました)

 

カルディといえば、札幌駅、発寒、そして桑園。それ以外は遠くて圏外。

桑園って家からだとつかみどころのない場所というか、

公共交通機関を利用するにもなんだか不便だし踏ん切りのつかない(つまり便利じゃない)半端さ。

歩いて行くにもかなりの距離がありそうだし。

まぁ一応調べてみるかとグーグルマップで経路検索してみたら、徒歩で1時間はかからないとでた。

きちんと歩けば片道約50分で着きそう。

 

というわけで、午後から延々歩いてきました(笑)。

あれですね、三角山なら延々何時間歩いてもへっちゃらだけど、

街中の道を黙々と歩くのは飽きますね。

走ったほうが全然楽。

「自転車あったら」なんてちょっと思ってしまったわ。

 

そこまで遠征して買ったのが もへじ サラダの旨たれ 。

今回で3本目。カロリー爆弾のようなドレッシング(笑)。真面目にすごい高カロリー。だけど、すっごく美味しい。

野菜だけでなくなんでも使えます。

今の時期はレタスを軽くチンして「しなっと」と「しゃきっと」の中間ぐらいのかたさにこのドレッシングをかけると、

いくらでも食べられます。

 

このドレッシング1本とおまけでワイン2本買ったら重たい重たい(笑)。

ルート開拓したな(笑)。

食べすぎ飲みすぎの翌日とか、元気で暇なときとか、また延々歩いていってこよう。

やっぱり欲張らずにワインは1本ぐらいが適度な重さだな(笑)。

 

三角山~奥三角山

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久しぶりに奥三角山まで行ってきました。

バッテリー交換したもののトラウマというか、いつどこで急激に落ちるのではという不安からアイフォン6は待機、

カメラ用に持ち歩いているアイフォン4sを持参したはいいけれど今度はこちらがバッテリー落ち。

という事情により、本日写した枚数はごくわずかです。

 

まずは三角山をぐるっとまわり、

 

 

 

 

ウメガサソウにご挨拶。

 

昨日の雨の影響か、カタツムリがあちこちで行動中。

殻から手足(ではないけれど)を出して伸び伸び(ではないけれど)している姿はなかなか見ごたえありでした。

過去最高でしょか、この数は。

同じ雨上がりのじめじめ地面なのにナメクジは見ませんでした。

行動する時間帯が違うのか?

 

 

 

 

 

奥三角山山頂。

ずいぶん変ったのね、山頂部分。

 

 

 

 

ケルンはなくなっているし(前回もそうだったっけ)、

 

 

 

 

 

石を敷いてテラスのようになっている。

そしてなんと、

 

 

 

 

ベンチができていた。

人がいたので山頂部分全体は写しませんでしたが、

誰もいなかったなら長居したり本を読んだりしたら気持ちよさそう。

 

 

 

 

 

そのベンチからの眺め。

宮の森シャンツェが近い。そのむこうは藻岩山。

 

 

 

お。

 

 

 

甲虫。

ちょっとボケていますがこっちがゴミムシ系?

で、色が角度に寄ってかわるのよ。

 

 

 

 

 

これは緑っぽいでしょ、同じ個体同じ位置です。

 

 

 

 

 

混合色。

 

 

 

それから、

 

 

 

コガネムシの仲間だと思うのですが。

 

 

 

 

沙悟浄(岸辺シロー)を思い出してしまった。

って、どれが眼?

 

 

奥三角山の裾の自然歩道、いやぁ、シダが嬉しいくらい揃っていて、

三角山分散するよりここの一本道でいろいろ復習できそう。

まずは名前を思い出せ(笑)。

 

 

 

 

 

ハクウンボクも終わり。また来年。

 

 

 

 

ツチグリもふかふかしているのは見つけられなかった。これでもまだ原形をとどめている部類。

 

 

 

 

 

以上、今日の三角山~奥三角山でした。

 

お得には弱いんです

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この前娘が泊まりにきたとき、

「これ、あげる。もう穿かないから、はいるなら穿いて」とユニクロジーンズを2本持ってきた。

はいるならって言われたら意地よね、筋肉贅肉全て筒に押し込み無理やりファスナーを上げたわ(笑)。

 

今現在の娘のサイズを穿けといわれたら絶対無理だけど、数年前のなら詰め込めばなんとか穿ける。

前の職場の激務でかなり体重が落ち、過去に買ったジーンズはゆるゆるで穿けないそう。

 

私が穿いたら絶対ゆるゆるなんて見えないけれど2本ともとにかくはいったし(笑)、

普通に動いてもはちきれそうでもない。

ただ、なぜか2本とも、特に濃い色の1本がやけに長い。

私は娘より4センチ背が高いし、特に脚が短いというわけでもない。

なのにまさかの裃というか裾があまってルーズソックスになっている。

「これどうやって穿いてたの」とおもわず質問してしまった。

大笑いしながらも娘曰く、

「前ってこんなふうに足首でくしゃっと穿くの流行ってたから」

ゆるゆるだし、今じゃこんな裃みたいなスキニー穿いている人なんていない。

というわけで、私にお下がりとなったわけなのね(笑)。

 

で、ユニクロのHPを調べてみると、ユニクロで買ったジーンズなら何年前のものでも裾あげしてくれるようで、

早速今日試しに1本持ち込み修理、裾の長い分をカットしてミシンをかけてもらってきた。

有料(280円+税)かと思いきや、タダ、無料でした。さすがユニクロ、ありがたや。

ジーンズの値段や古さによって違いはあるようですが私の持ち込みジーンズは無料でした。

 

 

仕上がるまでの待ち時間、ショッピングモール内をぷらぷらしていると、

なんと雑貨やさんでメルサボンのお得なセットを発見。

どうもメルサボンに弱い性格ですが、「お得な価格」にはさらに弱い。

 

 

 

 

今だけ数量限定スペシャルセット!

ボディシート&日やけ止めジェルクリーム お得な特別価格!1400円+税

と入っている袋に印刷されてあるのに、その上から税別300円のシールが貼ってある!

ええ! 日やけ止め1本だけでも300円で買えないぞ。

 

何かお店側の手違いなのではと恐る恐るカウンターに持っていくと、普通に300円+税で会計終了。

ちなみに帰宅後調べてみると、左のボディシートが480円、日やけ止めクリームが960円(共にアマゾン)。

 

 

 

 

紫外線を強力にカットなんて書いてあるけれど、きっと来月の今頃はかなり黒くなっていると思います(笑)。

 

 

 

ユニクロといいこの雑貨やさんといい気分がいいので、

カルディでまたワインを1本と、

 

 

 

 

ヴィセ アヴァンを2色買ってしまった。

前から欲しかったのよ。

って、これなら色がわからないので(色が綺麗にでなかったので加工してしまったわ)、

 

 

 

 

004と008を買った!

 

結局なんだかんだで買っている(笑)。

まぁ、いいか。 

ブロッコリーの話

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いやぁ、グロい話で恐縮です。

 

ブロッコリーに例のドレッシングをかけて食べるのが好きで、

今日もまた買ってきたんです、ドレッシングじゃなくてブロッコリーのほうを。

でね、前回、どっひゃぁな体験をしたんです。

あれは半月ほど前、ブロッコリーを買ってきて、

子房にわけ、ゆで、ドレッシングをかけ、おいしいおいしいと一人で食べていたところ、

(夫は野菜類はいっさい食べないので食卓に出しても食べるのは私だけなんです)

ふ、ふぇ、密集したつぼみのあいだに白くて小さいものが目に付いた。

ぞくっとしながらも、その手足のない白い小さなものをよく観察してみると・・・

その先は書きません。

「たまたまよね」と思いたくて、他のブロッコリーの子房のつぼみ付近を注視。

げ、たまたまなんてものではないようで。

 

以来、ちょっとブロッコリーを食べる気持ちにはなれず敬遠していたのですが、

今後一生避け続けるというのもあれよねと、勇気をもって?ブロッコリーを買ってきてみた。

 

今回は子房をさらにカットし、洗うのも念入り、

さらにボールに水をはり、切り分けたブロッコリーをいれ、上からお皿をのせ子房を完全に水没させ、

そのまましばらく放置。

もしもつぼみのどこかに○○がひそんでいたとしても苦しくて浮いてくるはず(だと思う)。

ゆでながらも目はなにか浮いていないかばかりチェックしてしまうし(笑)。

 

疑心暗鬼な食卓でしたが今回は大丈夫みたいでした。

まぁそれだけおいしいから○○がいたということになるのかもしれませんけれど、

やっぱりあれはちょっと強烈でした。

 

三角山 それ苦手なんです

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虫を三つ重ねて蟲という文字がありますが…。

蠢くというのもありますが…。

 

三角山にキヨスミウツボのようすを見に行ってきました。

 

 

 

 

特に大きな変化は見られず。

パールに金の縁取りがついて、この時期はとっても綺麗。

これがイソギンチャクみたいになってしまうのだから不思議。

 

 

激しく写りが悪いですが、

 

 

 

 

ウリノキの花が咲いていた。

といってもこれは早いほうで、私が見た範囲ではあとはまだくるりんこ以前でした。

 

 

 

マムシグサがベージュ色のストッキングを被った変態仮面になっていて、

ウケを狙って何枚も写したのですが、全部ボケボケで使えず。

 

 

 

 

 

イタチハギ(クロバナエンジュ)。

 

 

 

 次はムシ。

蟲はラスボスですね。

 

 

ゾウムシ(単独)がいたのでアイフォン4sクリップレンズ装着を近づけると、

敵に見えたのかメスに見えたのかわからないけれど、

猛烈ダッシュで向かってきた!

以下またまた写りが悪いですが、ゾウムシアタック。

 

 

 

 

 

おらおらおらぁ!

 

 

 

ゾウパーンチ!

威嚇されたのか? 

 

対して、

 

 

 

こちらは身動き一つしない(出来ないのか?)。

メレ山メレ子さんの本にカイコの割愛のことが書いてあったけれど、

カイコとまではいかなくともなかなか離れられないのでしょか。

にしてもゾウパーンチはすごかった。殴りかかってきたわ。

 

 

 

 

 

 

図鑑をみても似たような模様はあるのだけれど、わからず。

 (イタドリハムシではないかとありがたい情報をいただきました)

 

 

 

 

 

同じく、図鑑を見てもカメムシだというとこまではわかるのだけれど、

肩の形だとトゲカメムシが近いかなぁ。難しい。

 

 

 

 

 

これがね、葉っぱにへばりついていてはじめ何かわからなかったの。

虫なのかゴミなのか枯ちた葉なのか。

かなり接近してルーペで覗いてみると、わ、手足があるけど顔がない。カオナシか?

これは絶対わからないだろう、手の付け所がないと思いきや、

意外と簡単に図鑑で似ている虫を発見。

特に解説の「頭部は背面から見えない」という文言がずばりその通り。

クビカクシナガクチキムシなのではと思います。うん。

 残念無念。コメツキムシ科のサビキコリかホソサビキコリではないかという情報をいただきました。

ありがとうございます。いやぁ、これは結構ドヤ顔だったのですが…。難しい。

 

 

 

 

 

冬場は札幌中心部がよく見えたのに今ではこんな感じ。

ここのエリアにはサッポロフキバッタが毎年見られるのですが、

これが今回のホラーのような蟲となりました。

 

 

 

 

 

サッポロフキバッタと、

 

 

 

サッポロフキバッタの幼虫。

あ、背中の真ん中の筋はそれって割れ目? そこからぱっかーんって脱皮するのか?

この程度の数なら問題ないのですが。

 

 

 

フキバッタのフキはあのフキ?

 

 

 

 

 

おお、食欲もりもり。というか、いやな予感が。

 

 

 

 

 

いるいる。

あ、

お、オオイタドリの葉っぱが真っ黒になっている。

ぐぇ、

見てはいけないとわかっているのに、やっぱり見てしまった。

私、小さくて密集していて蠢くものがとにかく苦手なんです、叫びそうになる。

 

 

ご安心ください、加工してみました。

が、苦手なかたいるかもなぁ。

では、蠢く蟲、フキバッタの幼虫がどっちゃり群がる画像(加工処理済)です。

 

 

 

 

 

 

もうこうなると何が何だかわかりませんね。現場では凍てついてました。

人の気配を感じるとどっひゃぁと集団で跳ねるし。うわぁ、やめてくれよ。

 

 

 

 

 

 

先日の雨で道に水が流れ込んでいた。

 

 

 

 

 

以上、バッタの夢をみそうな今日の三角山でした。

 


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昨夜はバッタの大群の夢にうなされることはなかったけれど、

注文したお寿司が届かなくて届かなくて「まだなのかぁ!」と待ちわびる夢を見ました。

なんかちょっとわかる(笑)。

では、いつものようにこの10日間に読んだ本の17ページの6行目をアタマから書き写し、

あとは感想にも紹介にもならない雑文です。

今日はあまり時間がないので短めに。

 

 

 

 

 

 

 骸骨考イタリア・ポルトガルを歩く/養老孟司

在から堀り出された考古学的な遺物、つまり石像の一部とか、器物の破片も置いてあって、博物

 

 

「身体巡礼」に引き続き読んでみたけれど、より一層独り言度合いがアップ。

なんというか、まあ私のアタマがついていけないのが大部分なのだと思うけれど、

読み手に伝えたい、わかって欲しいというよりも、自分の言いたいことを書き連ねている感じで、

「こんなものがあるんだ」と知るきっかけにはなっても、詳しく知りたければ自分でそれを検索するしかないみたいな。

でも納骨堂や骨装飾の写真は圧巻で、いやぁ、死生観の違いというか、こういうのもあるんですね、世界には。

スコペラ博物館の人体蝋模型型「ムラージュ」の首の写真はこれは参考になりました。

 

 

 

 

 

 ときめき昆虫学/メレ山メレ子

 

17ページはナミアゲハの幼虫の写真でした。

 

損をしているのか得をしているのか、なんて読んでいる最中から考えだしてしまった。

読むことの損得ではなく、メレ山さんの損得のほう。

面白いし詳しいし根性あるし軽いノリ感覚でなんでも心動くものにむかって進んでいくメレ子さん。

私はとてもこういう人が好きですし、ノリは違うけれど幸田文もぱっと突き進むところがあるし、

こういう突進力というか腰の軽さ(変な意味ではなく)にはあこがれます。

装丁デザインはかなり軽いですけれど、この本を読んだら虫スイッチオンになる人かなりいると思いますよ。

 

 

 

 

 

 シャーロットのおくりもの/E.B.ホワイト さくまゆみ訳

らをいっぱい入れた木箱をおき、箱の下の板を切って

 

 

そのメレ山メレ子さんの本のなかで登場していた本が図書館にあったので借りて読んでみた。

この表紙の絵をみるとシャーロットってブタを抱く女の子のように思われますが、

実はシャーロットはクモ。みんなの目線の先にいる。

こういう本を子供の時期に読んでいたらきっとクモに対する嫌悪感は違ったものになっていたのでは。

 

 

 

 

 祖父のこと 母のこと 青木玉対談集/青木玉ほか

け珍しいってほどでもなかった。でも親戚の間で「あの新田の伯父さんの

 

 

青木玉さんの母は幸田文、幸田文の父は幸田露伴、幸田露伴は玉さんのおじいさんということになります。

幸田露伴の本は読んだことないのですが、

幸田文(なぜ幸田露伴さん、幸田文さんにならないのだろう?)、青木玉さんの本は好きで何冊か読んでいます。

で、きっと過去に私が読み落としてしまっていたのだろうけれど、

何故幸田露伴はあんなに掃除や作法に厳しくかつ詳しい、

厳しく詳しいというレベルのものではないんですね、あのしつけかたは、

露伴はそれをどこで身につけた(学んだ)のか、そのことをずっと疑問に思っていたわけです。

この本の最初の部分に書いてありました。

幸田家はもと幕府のお坊主衆の家柄で、有職・故実・礼儀・作法・遊芸・実務等々に通暁していることで幕府の奥深く仕えていたのだそうです。

納得。なまじのしつけなどではない。

そんな大作家でお坊主衆の家柄で偉大すぎる祖父と母をもち、

よく玉さんはグレたりひねくれたり捩れたり潰れなかったよなと。

幸田文は誠実に父を愛し、玉さんも誠実に祖父を母を愛しているのだと感じることのできる本です。

極地本と北欧ミステリーの続きを読もうかと思っていたけれど、

幸田文、青木玉さんの本も読みたくなってきた。特に「小石川の家」の再読。

私も突っ走る傾向にありますね(笑)。

 

 

 

 

 自分でできる!筋膜リリースパーフェクトガイド/竹井仁

ら存在しています。このエラスチンはゴムチューブのように伸び

 

 

 

 手体操・足体操健康法/上村太一監修

 

 

 よくわかる膝関節の動きとしくみ/伊能良紀

 

 

 

 3冊まとめて。こういう本は好きでつい読んでしまうのですが、

どの本にも共通することは、みなさん自分のやりかたが正しいという信念をもっていて、

もちろん信念なしにこういう本を作られては読む側実践する身は困るのですが、

なにか一冊だけ読んだのならそう問題は起こらないかもしれないけれど、

私のようにいろいろな人の本を読んだり動画を観たりすると、

こっちの人とそっちの人とでは言ってることが違っていたり、

こちらでは薦められないというようなことをあちらではよしとしていたり。

というわけで、私はもういいとこどりオンリーですね。

いいとこどりをして、そういう諸々の事が淘汰されて残っているのが今やっているストレッチとかマッサージかと。

どの本も結局似たり寄ったりなのですが、なんか目に付くと読んでしまうのは何故でしょう。

 

 

以上、207回目でした。

夏越の大祓(なごしのおおはらえ)に行ってきた

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今日は6月30日。一年もここでちょうど半分。

ということで、夏越の大祓に行き茅の輪くぐりををしてきました。

 

時間前に神社に到着したもののかなりの人が並んでいて、

夏越の大祓は初めてなのでどうすればよいのかよくわからず、まずは列の最後尾に並び、

前に並んでいる人の様子をうかがってみると、

手に何か白い紙(神社で配布されたものに思われる)をもち並んでいる人、紙を持っていない人がいることに気づく。

あの紙は何なんだろう、なくてもいいのか、なくてはならないものなのか。

 

運よく隣に並んだ和服のご婦人が手に紙をもっていらっしゃる。

わからないことは教えてもらおうと、素直に訊いてみたところ、親切丁寧に教えてくださった。

列を離れ、社務所へ。

初めての人はここで住所と名前を書き、

人数分の人形(千と千尋を思い出した)をもらい(私は家族3人分)、それぞれ名前と歳を書き3回息を吹きかけ、

横の建物で1000円を納め白い紙をもらい、帰りにお札をいただく仕組みになっているようです。

なるほど。

1000円納め、白い紙をもらい、再び列の最後尾へ。

 

 

 

 

 

私ね、この茅の輪をくぐってそれで終了だと思っていたわけなんです。

ところが、神官を先頭にぞろぞろとまずは茅の輪をくぐり左、

ぐるりとまわり再び茅の輪をくぐり今度は右へ、

さらに元の位置に戻り茅の輪をくぐり左へ、

元の位置にもどり茅の輪をくぐり奥へ移動。

∞を書くように歩くんですねー。

 

奥に移動し人形を神官に渡し、清める紙で左右左と祓い(説明しようにも言葉がわからなくて)、

さらに本殿内に移動しお祓い(?)をしてもらい、

最後にお札を戴いて終了。

 

輪をくぐるだけだから5分もあればいいかななんて考えていたのは大きな間違いで、

1時間弱かかったのではないでしょか。きちんとした神事というのか行事でした。

ちなみに住所と名前を書いた紙は半年後の大晦日の日に神社でお祓いをしてくださるそうです。

これで家族は安泰か(笑)。

 

 

 

 

鳥居の奥に茅の輪が見えています。

 

残り半年、皆様も元気に過ごせますように。

札幌のアムンセン

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1927年(昭和2年)7月3日。

今からちょうど90年前の今日、アムンセンが札幌に来ていました。エンゼル館で講演をしています。

驚きでしょう。こんな身近にまさか私とアムンセンとの接点があったなんて。

私が極地本を読み始めてすぐの頃アムンセンが昭和のはじめに日本に来ていたことを知ったのですが、

明治神宮参拝、昭和天皇拝謁、白瀬中尉(南極鯨湾に同時期滞在していた)訪問、

それぐらいしか情報を見つけられなかった。

 

ところが、

 

 

 

 

今年の冬に取り寄せたアムンセンの自伝「アムンゼン探検誌/ロアルト・アムンゼン著 加納一郎譯」の譯序(訳序)に、

若き日の加納一郎氏が札幌でアムンセンの講演を聴いたことが記されてあった。

 

 

━略━この探検家が峭寒の氷野に隊員を指揮したと同じ聲を聞き、

晝餒夜凍の五十五年にきざまれた皺をその面に見た人も少なく無いであらう。

━略━アカシアの花かをる頃、札幌においてこの悠遠に名をとどめる偉大なる探検家の講演を聽き、

昻然として家路についた往時を想起し、深き感慨を禁じえないものである。  アムンゼン探検誌譯序より一部抜粋


 

これはなんとかして調べなければ調べなければアムンセンがあのアムンセンが札幌に来ていたなんてと躍起になったものの、

そこから先が進まず、これは諦めるか、あるいは昭和2年の新聞記事をとことん調べるしか方法はないか、

春になり雪が解けたら行動を起こそうと考えておりました。

パソコンであちこち調べること数ヶ月。

掴みました。がっしり掴むどころか、アムンセンの直筆サインにまで対面してきました。

 

 

 

 

 

 

 昭和二年六月二十一日(火曜日)夕刊=二十二日発行 朝日新聞

 

 

中央図書館でマイクロフィルムにへばりつき昭和二年六月分の朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・北海道新聞、

昭和二年七月分の北海道新聞・函館新聞を半日かけて読み漁りました。石化したわ(笑)。

 

 

昭和2年6月20日午前7時、横浜入港の「エムブレス・オブ・エシア号」、報知新聞の招待で来日。

午前11時東京駅、午後3時明治神宮参拝、午後7時東京會舘歓迎会、

21日夜東京放送局で日本のみなさまへ挨拶、

22日宮中天皇拝謁、

23日、24日報知講堂で講演

 

横浜、東京以外の記事は見つけられず。

しかし。しかしですね、7月2日に札幌という情報だけは掴んでいて、

今度は函館新聞、北海道新聞を鬼のようにチェック。

アムンセンの北海道での行動が大雑把ながらも把握できました。

 

 

数回にわけて札幌のアムンセンのことを書こうと思っていますが、

毎日更新とはならないかと。

ぽつぽつと投稿してゆきます。

札幌にアムンセンが来ていたことなんてほとんど知られていない(というか忘れ去られ埋もれている)はず。

シルバーシャンツェと同じように、「こんなことがあったんだよ」ということを書き記しておこうと思っています。

札幌のアムンセン 2

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90年前の札幌にアムンセンが来ていたことを知り、まず思ったのは、どうやってここまで来たのか。

それから、アムンセンは三角山を見ただろうか。

 

東京でのようすは新聞記事に載っていたけれど、昭和2年6月25日からの行動の記録はわからず、

7都市で講演したらしいけれど、これも「したらしい」の域で、

アムンセンがいつまで日本に滞在していたのかも今回調べたなかでは出てこなかった。

ただ、7月2日に来道は確かでした。

 

 

 

 

 

昭和2年7月3日 函館新聞

 

7月2日午前11時55分入港の青函連絡船松前丸で函館に到着しているんですね。

いやぁ、私子供の頃函館に住んでおり青函連絡船は何回か乗っていて、

ぽっかり浮かぶ函館山と坂の町並みをアムンセンも船からきっとみていたに違いない、

さらにあのうんざりするほど長い連絡通路を歩いていたのかと思うとなんだか感慨深く、

調べてみるとアムンセンと私(私?)おもわぬところに接点がみつかり、

ここまで極地本を読み漁ったまさかのご褒美となったのでした。

 

 

函館駅前に大テントを張り、日諾両国旗を掲げ、市内各小学校生徒・青年団約1千人が出迎え歓迎式典、

「━略━申し上げたいことは多々あるが私はただ『有難う』と申しあげます、

この簡単な言葉の内に私のあらゆる感謝の意が含まれている事を汲み取って頂きたい」と壇上から語ったそうです。

 

 

 

 

歓迎会の様子 昭和2年7月3日 函館新聞

 

 

12時45分発の急行で直ちに札幌へ。

21時36分札幌着。宿泊先は山形屋旅館。

 

 

昭和2年というとJRではなく国鉄のころで、

これをみると函館~札幌間が急行で9時間弱。今ならスーパー北斗で3時間半ぐらいでしょか。長くて遠い。

車窓から駒ケ岳や大沼を見ていたのか。

 

 

 

 

 

こちらは昭和2年7月3日の北海タイムス

 

いろいろ読み漁った新聞記事のなかに(朝日新聞)六尺近い長身と書いてあり、

これをセンチメートルに換算すると六尺は182センチメートル、

アムンセンは180センチメートルぐらいだったのかもしれません。

 

札幌でのアムンセンは次回に。

宿泊先山形屋旅館や講演会場エンゼル館の現在地を歩き写真も撮ってきました。

止められない

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今日は暑かった。煮えるような? たとえるならジャガイモ? 

札幌の最高気温は33度だったはず。ニュース画面をちらみの情報だけれども。

今日はアムンセンの続きを仕上げてしまうつもりだったのですが、

一昨日から読み始めた北欧ミステリ「顔のない男/ステファン・アーンヘム」、

分厚い600ページ超の文庫本なのだけれど、中盤から勢いついちゃって止められなくて、

今現在585ページに差し掛かったところで、残り74ページほど、

結末知りたさにこのまま深夜まで読み続けることに決定。

にしても暑いですね。熱中症脱水症に御用心御用心。

札幌のアムンセン3

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 ちょうど90年前の1927年6月、報知新聞の招待でアムンセン来日、

7月には札幌で講演会を行っています。

そもそもなぜ来日来札したかというと、アムンセンは1926年5月11日に飛行船ノルゲ号で北極点上空に達し、

そのままアラスカ北岸バロー岬まで42時間直線距離3540キロメートルの人類初の北極海横断飛行に成功、

その後探検家としての実践活動から退くことを声明し、著述と講演活動に携わっていたわけです。

 

今回はその札幌でのアムンセンのスケジュールを。

 

 

 

 

 

昭和2年7月3日(4日) 北海タイムス

 

 

この新聞ではアムンセンの身長は五尺八寸となっている。

朝日新聞では六尺近い長身と書いてあり、176~180センチメートルくらいでしょか。

 

昭和2年7月2日 函館12時45分発の急行に乗り、21時36分札幌着。

札幌駅長と握手、青年団、少年団の杖門の禮を笑顔で受け自動車へ。

群集が車を取り囲み万歳高唱し立ち往生する熱狂振りだったようです。

 

 

 

 

 

 

昭和2年7月3日(4日) 北海タイムス

 

 

一番上の写真が札幌駅前での杖門の禮。

宿泊先は山形屋旅館。

 

 

7月3日、午前10時、自動車で北大(!)訪問(写真2段目)、中央講堂で出迎えを受け、

休憩室で南極談(北極ではなく南極となっている)、

自動車で北大構内を一巡、第二農場(行かなくては)を見、植物園(!)、

その後札幌神社に参拝(!)、中島公園(!)。

 

正午、豊平館(!)で歓迎会(写真3段目)。

 

午後3時、月寒、真駒内公園(!)

 

午後4時、アムンセンのリクエストでバチェラー家(!)訪問。

 

午後6時、エンゼル館にて講演会。

 

 

 

後ろに(!)をつけてあるのは私も行ったことのある場所で、調べている最中この名が出てきて驚いた(笑)。

札幌神社なんて北海道神宮でしょ、まぁ今の神宮さんとは社殿が違うとは思いますが通ってる通ってる私。

中島公園も真駒内公園、植物園なんて身近すぎるし、

豊平館なんてただの古い建築物だと思っていたのがアムンセンの足跡が残っていたなんて!

今ある豊平館も当時のものではないでしょうけれど。

 

 

アムンセンの泊まった山形屋旅館、講演会場となったエンゼル館はどこにあったのか。

 

 

 

 

札幌歴史地図〈大正編〉さっぽろ文庫別冊 資料を基に作成した大正末期の都心部地図

 

札幌をご存知のかただと「おお、ほお」でしょし、札幌をご存知でないかたは「ふうん」でしょか。

まずは山形屋旅館。中央区北3条西4丁目です。

 

 

 

 

さっぽろ文庫第23巻 札幌の建物

 

この旅館には大屋根の上に名物の望楼があり、そこからは札幌の町並みから石狩平野まで一望できたそうです。

今のような高層建築物がない時代、連なる札幌の山々もばっちり見えていたのではないかと。

絶対ここに上ったと思うのよね、アムンセンは。きっと三角山も目に入っていたと思うのよ。ジャンプ台も見えていたかも。

 

 

 

 

 

赤レンガテラスが山形屋旅館、右奥に見えているのが北海道庁赤レンガ。

 

講演会会場のエンゼル館は北3条西3丁目、

 

 

 

 

Engel Kwan Sapporo, postcard.jpg

エンゼル館 画像ウィキペディアより

 

 

 

 

この並びにエンゼル館が建っていた。

 

 

 

 

 

 

 

豊平館 画像ウィキペディアより

 

 

歓迎会会場の豊平館(新聞記事写真3段目)、

豊平館は現在中島公園にありますが、これは1957年の移築で、

それ以前は北1条西1丁目に建っていたと今回初めて知りました。

跡地は市民会館、今はわくわくホリデーホールというなんともわくわくしない名前になっていますが、あそこです。

 

 

 

 

 

あの白い建物の場所に豊平館があり、アムンセンの歓迎会が行われた。

ということは、

 

 

 

北1条西2丁目(すぐそば通り道)の時計台もおそらく見ていたことでしょう。

 

 

アムンセンのリクエストで訪問したバチェラー家 は当時北海道庁と植物園の間に家があったと地図に記載されていますが、

現在は北大植物園の一画に移築されていて、私はこの建物や横にある博物館が好きで何度も行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

まさかこの古い建物にアムンセンが「ごめんください」していたとは!

バチェラー氏はアイヌの父と呼ばれている方で、

アムンセンはユア号航海(北西航路探検)、マウド号のときにもイヌイットと親交を深め、

女の子を二人預かりアメリカ(だったはず)で教育をうけさせており、

バチェラー氏に共感を覚えたのではないかと察します。

そのバチェラー氏ですが、太平洋戦争が始まると敵性外国人として帰国させられているのですが、

奥さんのルイザさんは帰国させられる以前に亡くなっていて、今も円山墓地で眠っておられます。

6月末に円山に行く機会があったのでカラスに襲われながら円山墓地に寄ってきました。

 

 

 

 

 

 

片面は日本聖公会となっていて、札幌聖ミカエル教会で管理されているようです。

 

 

 

アムンセン直筆サインまで進めたかったのですが、長くなったので今回はここまで。

17ページ 6行目 208

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今日も暑い暑い一日でした。毎年7月の今時期ってこんなに暑かったっけ?

この炎天下走っている人を見かけたわ。えらいなぁ。

私はズルしているわけではなく、膝の調子がぱっとしないのをいいことに、何日走っていないのかな。

6日間か。あ、まだそんなもんなんだ。

 

では、今日は7月9日、9のつく日なのでいつもの17ページシリーズを。

この10日間に読んだ本の17ページの6行目をアタマから書き写し、

あとは感想にも紹介にもならない雑文を書くというシリーズをやめ時が見つからないまま延々続けています。

 

 

 

 

 

 

 小石川の家/青木玉

は休むに似る。

 

 

 

 帰りたかった家/青木玉

ったねえ」

 

 

 

 

 父・こんなこと/幸田文

 親がそうだから二人の男の子たちも、垣根越しにかいま見た白髯のおじいさん先生を尊敬して

 

 

 

青木玉さんの母は幸田文、幸田文の父は幸田露伴、幸田露伴は青木玉さんの祖父となります。

「小石川の家」は再読となり、

ここに露伴仕込の掃除(拭き掃除の雑巾の使い方)が書いてあったと記憶していたのですが、

それが記憶違いで見つけられず、私が昔読んだのは「小石川の家」ではなく「帰りたかった家」だったのかと、

こちらも読んでみたけれどこの本でもない。玉さんの本ではなかったのか?

幸田文の「父・こんなこと」に掃除の件が載ってはいるけれど雑巾の指の話ではなく、

いったい私はどこで何の本で読んでいたのだろう。

幸田文と私は少しだけだけど境遇が似ていて、早くに実母を亡くし(文さんのほうが早いけれど)、

その後継母をむかえ、まぁちょっとあれよねな家庭環境で、父・娘・継母間のやり辛さがなんだかわかるわよねで、

妙に同情共感してしまう部分もある。

結局継母は別居する形となりその後は父・娘・孫娘の暮らしとなり、最期は娘と孫娘が看取ることになる。

露伴の晩年の話はずんと心に重くきました。

玉さんの2冊を読むと、何故幸田文は離婚したのか、元夫はどんな人だったのか察せられ、

確かにこんな人なら生活するのは楽しいだろうけれど、

いざなにか困難にぶつかったときはその生きる力の無さに情けなくなるだろうなと。

来年こそは植物園にハンカチの木を見に行こう。

 

 

 

 

 偏路/本谷有希子 

若月  「ううん、いい」

 

 

こちらも父と娘の話(戯曲)ですが、幸田家の話と較べるのは酷ですね。

 今回も東京と地方とのコンプレックス、憎悪があちこち顔を出し、

遍路ではなく偏路となっています。

昔一時期歩き遍路したいと考えていたことがあったけれど、

やるならそろそろ練らないと足腰は丈夫でも膝が持たなくなってしまう?

 

 

 

 

 顔のない男/ステファン・アーンヘム 堤朝子訳

「いいんです」ソニアがさえぎった。「お入りください。荷物が届いてないので、なにも

 

 

読んだぁ、659ページは長かった。登場人物は多いし、スェーデン・デンマークと固有名詞に四苦八苦しながらも、

意外にもこんがらがることなく、というか、ここ数年アタマの回転閃き接続が鈍くなっているのに、

後半の、ネタバレになるので書けませんが、「あの人があれなのね」が早くにわかったこと、

伏線もおそらく回収できているのではという理解度に、ちょっと自分で自分に感心(笑)、自画自賛。

この前読んだ「傷だらけのカミーユ」も読後「なんだかわからんぞ」に襲われなかったし。

ミステリ音痴解消? たまたま?

 

主人公の刑事ファビアンには特に魅力を感じなかったけれど、ファビアンの上司アシトリッド・トゥーヴェソン、

同僚イレイェン・リーリャ、コペンハーゲン警察(クビになったけど)の刑事ドゥニヤ・ホウゴー、3人とも女性、好印象。

ファビアンと妻ソニアとの今後、息子の後遺症の有無、旅行中ということで一度も登場しなかった同僚、

そしてなによりクビになってまで捜査に協力したドゥニヤ・ホウゴー、

きっちり書ききってないまま終わっているので、これは次作があるとみていいのでしょか。

 

北欧ミステリは面白い! ヘニング・マンケルの「ヴァランダー(ラベンダーとごっちゃになる)シリーズ」、

残念ながら亡くなってしまったけれどスティーグ・ラーソンの「ミレニアム三部作」、

アーナルデュル・インドリダソンのエーレンデュルシリーズ、

カミラ レックバリのエリカ&パトリックシリーズもなんだか明るいミステリで面白い。

なんて読み出すときりが無いので手を出さないようにしていますが、積みっぱなしももったいない。

 

もったいないといえば、私は本ばっかり読んでいて家にはわりと本の数はあると思うのに、

娘も夫もほとんど本を読まないのよね。娘は仕事関係の本なら読んでいるけれど。

あんなに絵本読んであげたのに、喜んで聞いていたのに、本好きに育つというわけではないみたい。

まぁ私もこんなに読むようになったのは30代後半ごろからだったかな。

 先のことはわからない。

 

以上、208回目でした。夜になってもまだ暑いし。

 

 

追記*幸田露伴仕込の指先を使った雑巾掛けの話、

ひょっとしたら向田邦子の本とごっちゃになっている可能性を思いついてしまった。

うわぁ、「父の詫び状」読み直しか。


札幌のアムンセン4

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アムンセンは札幌滞在中、山形屋旅館に宿泊していましたが、

その山形屋旅館にアムンセンのサインが残っているという情報を見つけ、

それが本当なら、アムンセンの直筆生サインを直にこの目で見てみたい、

写真でもパソコン画面からでもなく直にアムンセンが残したものに触れてみたい(触るという意味ではなく)。

何年前からだ? シャクルトンから始まって極地関連の本は何冊読んできたんだろ。

特にアムンセンに関しては熱狂的に読みあさりました(笑)。

来日していたのを知り、札幌まで来ていたのをつきとめ、調べたその先に直筆サインの存在を知ったこの興奮、わかります?

わかんねーよと聞こえています、はい。

 

でもそのサインはどこにあるんだ? 山形屋旅館はもう廃業しているし。子孫のかたが持っていらっしゃるのか?

調べていくうちに2011年7月28日の北海道新聞夕刊に、

「札幌市文化資料室でアムンセンのサインが見つかる」という記事を見つけた。

札幌市文化資料室は2013年より札幌市公文書館となっていて、

特定重要公文書目録検索システムに入力すると、どんと出てきた。

ある、ここに行けばアムンセンのサインがある、直にアムンセンを追える。



行ってきました。






もうどっきどきよ。

どこから入ればいいのか、どの部屋にいけばいいのか、私みたいなのがひょこひょこ訪ねていいところなのか。


心配無用。みなさんとても親切でした。


書類を数枚書き、手続き完了。

待つこと数分。

職員さんが持ってきてくれたのは年季の入った布の表紙の「名士筆跡」というサイン帳。

山形屋旅館に泊まった有名人偉人の名前や絵などが書いてあり、

計4冊のうち私が知っている名前はアムンセンだけでした。

高名な画家や○○伯爵とか、残念ながら私無知でして全然わからない。

外国人はアムンセンだけでした。

 

 

では、写真撮影とブログ掲載許可を得ての札幌市公文書館所蔵のアムンセンのサインです。

 

 

 

 

 

 

うわぁ、これ、アムンセンが書いたのよ、この紙に向かって、毛筆よ、

端に手をそえ筆を持ち、一文字一文字真剣慎重に筆を進めたんだろな、90年前に。同じものよ、それが目の前にある。

 

 

 

 

 

 

 

よく見ると、

 

 

 

 

おお、墨がNの上に散っている!!

 

 

 

離れられませんでした(笑)。ずっと座って眺めていたかった。

隔てるものないんだもの、私との間には。ああ、この手で犬ゾリを曳いたんだ、この手で南極点に国旗を立てたんだ、

この手で北極不時着時には氷を砕き、最後の遭難時には何をその手で掴もうとしてたのか。

 

 

まだどこかにアムンセン来札時の写真やサインや記録が残っているかもしれません。北大とか新聞社とか。

 

そのアムンセンですが、1927年7月4日午前7時30分発の急行で盛岡に移動しています。

バランスボールイボイボくん

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うちにはバランスボールがふたつあります。

 

 

 

 

右の水色の大きいのは5年前に買ったもので、確かサイズは75センチだったはず。

パソコン机の椅子代わりに使っていて、今もお尻の下、これに乗って玉乗り入力しています。

飽きたら後ろに倒れて背中を伸ばしたり、両脚あげてバランスとったり。膝立ちも可能。

 

今日の主役は左横の青いバランスボール、通称イボイボくん。見たままずばりのネーミング。

このイボイボくん、娘とともに津軽海峡を渡り、

どういうわけか単独先行帰ってきたという歴史があり、かれこれ15年ぐらい熟成されてるのかな。

普段はそこらへんで待機していて、たまに背もたれ、あるいは椅子代わりになっている程度。

 

札幌は連日の真夏日、昨日も暑くて暑くてうっだうだ、窓から離れた床に寝転がり読書。

で、鍛えながら読書は可能かと、仰向けになり脚でイボイボくんを操作。

両脚を乗せお尻を浮かしバランスキープしてみたり、脚の間に挟み、股力でイボイボくんを挟み潰したり、

挟んだまま左右に倒せばストレッチにもなるし、イボイボくんと戯れながら読書していたのですが、

ふと見ると、むき出しのふくらはぎがイボイボくんイボ突起の跡だらけになっていてなんだかすごい有様になっている。

うわぁ、画鋲刺さっているみたいだわとふくらはぎに触れてみると、

なんと、ふくらはぎがふにゃっふにゃになっている! 

赤ちゃんみたいにふにゃふにゃにほぐれていて、こんなに軟らかなふくらはぎなんて自分の脚じゃないぞ。

どうしてこんなにふにゃふにゃなんだ?

 

私、仰向けになって、太腿の裏膝裏ふくらはぎでイボイボくんを挟み、

潰したり持ち上げたりもしていたんです。

圧力弾力イボ突起がどういうわけかイボイボマッサージになっていたみたいで、いいだけふくらはぎ揉み解されていたみたい。

驚きの軟らかさ。

 

今日某所(ジム)で筋肉使ってきたので、

同じようにイボイボくんを脚の裏側に挟みプッシュプッシュ、アップアップしてみたところ、

またまたババロアのような軟らかさ。婆ロア。

これすごいかもしれない。

影の実力者だな。

 

一方的

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やっとこの時間になって過ごしやすくなってきました。

今日も暑い一日でした。ここは夏涼しい北海道ではなかったのか。

なんだか日本列島真っ赤赤の天気予報の最高気温図。

明日もさらに暑いとか。そうくるのか。

 

さて、少し前の話となります。

とあるスーパーで買い物をしていると、

奥の一画にテレビカメラを肩に乗せた男性と掃除道具のような集音マイクを旗手のように抱えている女性、

そしてリポーターらしき女性が買い物客に声をかけている姿が見え、

おっとっとと、映りこまないよう、ぐるっと遠巻きに離れて別の売り場に移動、

テレビ局の人と思われる一団がその場からいなくなったのを確かめてから、

インタビュー現場だった売り場に戻り、買わなければならないものの品定めをしていると、

私に話しかけてくる女性の声がする。

え! とふりかえるとそこにはいなくなったはずの先ほどのテレビ局三人が立っており、

カメラはこっちを向いてるし、掃除道具のようなもふもふマイクも頭上にあるし、

なんといってもマイクが1本私の前に突き出されている。

で、そのマイクを持った女の人はこう言ったのね、

 

「○○○(テレビ局のアルファベット3文字)の××××(情報番組の名前)ですが」

 

私、これが女子アナっていう人なの? リポーター? テレビ観てないからわからないけど、

その女の人の顔をじっと見ながらこれが世に言う人気職種女子アナねなんて思っていて、

この人次に何て言うのかなとさらに顔を目を凝視していると、

 

「普段○○○(食品名)は食べますか?どんな種類が好きですか?」

 

え? いきなりそこ行くの? その前に2,3おききしたいのですがとか、お時間よろしいですかとか、

相手側の都合というものを確認すると思っていたのに、

いかにも応えるのが当たり前みたいなもちかけ方で、

テレビ局ってそんなにえらくて、みんなテレビに出たいとでも思っているのかとちょっとムカついた。

 

「それは他人に話を訊く態度ではないでしょ、ましてテレビでしょ、子供じゃないでしょ、プロでしょが」といい放ちたかったけれどそこは抑えて、

両の手のひらを相手に見せ「こういうのはどうも」とやんわり拒否を表すと、

「あ、取材お断りですね」と三人そろってくるっと背を向け去っていった。

すみませんでしたとか失礼しましたもないのね、礼儀も挨拶もなし。そんなものなのでしょか。

 

別にお高くとまっているわけではなく、昔、まだ私が函館に住んでいた頃テレビのインタビューに応えたら、

いいだけカットされ都合の良いように編集され、まるで違う言い分を喋っている私が流れ、

運の悪いことに私を知っている人の多くがそれを観ていたという出来事があり、

あれ以来、テレビのインタビューは断るようにしています。といってもこれで三回目だったけど。

きちんと「インタビューよろしいですか?」と聞いてくれたなら私も「ごめんなさいね」と断れたのに。

 

そういう社員教育をしているのかなぁ。気軽に応じなかった私が変っているのか、考えてしまいました。

この五日間

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義母が亡くなりました。92歳でした。

 

7月14日午前中に療養先の病院から「腹部大動脈瘤が破れたかもしれない」と連絡がはいる。

破裂、大出血ではなく、破れた箇所から少量規模の出血を起こしていて、

それが今後落ち着くかもしれないし、出血量が増えるかもしれない。

時間単位になるか、日単位になるか、月単位になるか予測しかねるが、

あまり良い方向ではないと思っていてくださいと医師から言い渡されました。

 

義母は、小柄で痩せ型なのだけれど恐ろしく頑丈というか不屈というか、

死んでも生き返るようなタフな復活の歴史を持っていて、

私も夫も娘も、「破裂」ではなく「破れる」だし、

あの義母のことだからこれは死には至らないのではないか、戻ってくるのではないかと思うこともあったのですが、

心拍数上昇血圧低下バイタルサインが悪いほうに悪いほうに動き出し、

15日、夜が白みはじめたころ、静かに息をひきとりました。

 

16日御通夜、昨日17日葬儀と慌しく過ぎ、

今日18日はまだまだいろいろしなければならない細かなことはあるけれど、

普段の生活、いつもの暮らしに戻ってきています。

 

歳が歳ですし、腹部大動脈瘤二つ、糖尿病、高血圧、脂質異常症、動脈硬化、脳梗塞、胃半分切除、大腿骨骨折2回、

いつなにが起こってもおかしくないような状況がここ何年も続いていたので、

そういうときがいつかくることは覚悟していたし、

ああ、やっぱりこういう日がきてしまったんだなと。

 

悲しいとか辛いとかではなく、なんというか、「ああ、死んじゃったんだな」という気持ちのほうが今は強いです。

17ページシリーズの日なのですが

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今日はいつもどおりなら17ページ6行目シリーズの日なのですが、

なんだか元気が出てこなくて、お休みにします。

10日間のうちの半分は1ページも読むことはなかったし。

喪失感というか虚脱感というか。父や母や義父を亡くしたときとはまた違う寂寥感です。

 

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